デジカメ散歩
古河橋
2016年6月11日記事一部修正
2016年6月5日公開

 廃止駅となっている足尾本山駅近くの渡良瀬川に、古河橋という鋼製トラス橋が架かっています。左岸の足尾町赤倉、右岸の足尾町本山との間を渡していますが、すぐ隣りには新古河橋(平成5年竣工)という橋もあるため、残念ながら現在は通行止めとなっています。足尾銅山の産業遺構として、2014(平成26)年には重要文化財に指定されるなど(文化庁データベース)、その分野では有名な橋梁ですが、わたしも1枚、古い絵葉書を持っていましたので、新旧の変化を観察してみましょう。

 古河橋は元々は軌道人道の併用橋として明治23(1890)年に竣工しています。当初、軌道は馬車軌道で、本山坑(→有木坑)〜本山製錬所〜(古河橋)を結び、渡良瀬川に沿って下ると、渡良瀬(これは現在の足尾駅の近くのようです)から一転、細尾峠(地蔵坂)を目指し、峠を架空索道で越えて日光(日光線が明治23年開通)まで通じる輸送ルートでした。現在もこのルートは国道122号線として足尾から日光に抜ける道路となっています。軌道はこのほか、沢入や、通洞坑、小滝坑などのルートも開かれますが、足尾鉄道(のちの足尾線→わたらせ渓谷鉄道)が大正3年に全通(桐生〜足尾本山)することによって、おもな輸送手段は鉄道線に譲り、坑外軌道としては1954(昭和29)年に全廃されています。


(絵葉書/うしやん所蔵)背後の山のかたちより、赤倉より本山方向をみた構図と思われる。古河橋の中央には馬車軌道(軌間610ミリ)が敷かれている。この馬車軌道は、足尾鉄道(国鉄足尾線、現在のわたらせ渓谷鐵道)敷設以前の輸送手段で、途中、細尾峠を越える架空索道を経由して、日光まで通じていた。


 絵葉書と同じ構図から比較すると、ほぼオリジナルだが、左右の上弦を結ぶ補強が施されている。古河橋を渡った先からが鉱山敷地になり、正門があったようです。なお、本山坑(→有木坑)は正面の山間をさらに入った場所にあった。


(絵葉書/うしやん所蔵)『足尾鐵道の一世紀』によれば、地蔵坂への中継基地があった渡良瀬(のちの足尾駅近く)。数十の馬車が連なって行き来していたようだ。馬車軌道はこのあと、細尾峠越えのルートに入る。

 当初は馬車軌道として敷かれましたが、本山坑〜本山製錬所〜古河橋間は明治26(1893)年に電化され、電気機関車の使用が始っています。これが日本で最初の、実用された電気鉄道と言われています。


(絵葉書/うしやん所蔵)電気機関車が写ったものが無かったので、電化の絵葉書を。場所は本山製錬所構内と思われ、架線が張られてるのが分ります。なお、足尾銅山は坑外軌道の電化が先で、坑内軌道は明治30年から電化が始った。


赤倉側より本山方向を見る。古河橋の向こうに覗いているのは足尾線のガーダー橋。足尾本山駅は正面の大きな建物(旧本山製錬所)の向こう側にあります。


 古河橋に並走して新古河橋が架けられている。


 本山側より赤倉方向。絵葉書と照合すると、右に馬車軌道、左に人道があった。電気軌道となってからは複線化されたようである


 渡良瀬川の上流側を望む。本山側には渡良瀬川に沿って鉱山施設が並ぶ。

 古河橋には銘板が残っており、ドイツ ハーコート(HARKORT)社製とあります。橋の竣工は1890(明治23)年12月(開通は明治24年1月1日)。おもな資材は組立済みで輸入され、現地ではボルト締めによって組み上げる、スピード重視の簡便な工法が取られています。


 ドイツ(デュースブルク)のハーコート社から輸入されたことを示す銘板。ドイツ製ながら標記は英語。

撮影は全て2012年5月


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