車輌のあれこれ
5号電車
その1
2016年12月8日公開
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TYPE OF 20TON-B  5

 2016年から三川坑跡に展示保存された5号電車が、まだ港駅にて現役だった頃の写真をまずは見ていただきましょう。5号電車は、20トン電車増備表によれば、大正4年12月製です。製造所はしばしば三菱造船と書かれますが、この時点では正確には三菱合資会社となります(大正6年10月に同社の造船部が三菱造船として分離独立、なお三菱造船”所”とするのは誤り)。おそらく10号までが三菱合資時代、11〜12号が造船時代となるようです。『日車の車輌史』によれば、同社初の電気機関車として大正4年10月に製造(機械部分)され、三菱神戸造船所にて艤装のうえ納入されたとあり、車輌メーカーと電機メーカー(神戸造船所からはのちの三菱電機が独立)との組合せで誕生したこととなります。このような組合せはむしろ当時にあっては一般的ですが、ほとんどの資料で日車の名が抜け落ちているのは残念に思います。同書には製造時と思われる写真(番号付与以前)および組立図があり、ジーメンス製1〜4号を正確に模したスタイルとなっていますが、しいて言えば、国産機のほうはリベットが多く、ゴツゴツとしています。


(1993年3月三池港)明治44年ジーメンス導入後、5年後には国産機の増備となった。5号電車はその初号機にあたる。

(1993年3月三池港)

(1992年8月三池港)5号の後ろは14号。5号は現役組なので、車体に色艶があった。


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(1993年3月三池港)1号電車との並び。ジーメンス機と比べると、ボンネット中央に帯板が付くのが国産機の特徴。また、端梁の縦幅や、尾灯位置も異なっている。

 1号電車とともに、港駅入換機として最後まで現役だった5号電車ですが、あまり稼働中の姿は見ていません。もっとも港本庫にいけば必ず出会えたと言うでもないので、人知れない場所での仕業があったかもしれません。そのひとつが高架桟橋の入換で、5号電車がセナ炭車を推す姿を見かけています。華奢な高架桟橋上は20トン電車の専有箇所で、四ツ山駅から築堤の上までは45トン電車が牽いていたようですが、その先、他炭積込ホッパーは20トン電車が担当しました。

(1991年3月三池港)高架桟橋上の5号電車。

(1991年3月三池港)手前の踏み切りは港2号踏切。


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5号電車その2(保管時代)

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