万田停車場
配線一例
2017年1月5日公開
炭鉄本館へ戻る
MANDA STATION


(2014年11月万田)万田第二坑からみた万田駅構内跡。かつては一帯が藪に埋もれていたが、近代化遺産に指定され、きれいに整地されていた。

 『三池炭鉱写真集万田坑聞き書き』(下津晃著)所収の万田停車場配線図をもとに、万田駅の配線図を書いてみました。万田駅の最晩年は三池本線の単線・複線の切替点としてポイントが一つあるのみとなっていましたが、かつては万田操車場としてヤードが設けられていました。


(うしやん作図)原図は『三池炭鉱写真集万田坑聞き書き』より。

 ところで原図には年代がありません。一体いつ頃の万田駅の様子なのでしょうか。

 ヒントのひとつは、万田(通勤)ホームと妙見駅が記されていることで、昭和26年9月に万田駅(桜町駅とも)と三池港駅の間に通勤電車の運転.が開始され、遅れて昭和28年3月には妙見停留所が開設されます。このことから、配線図が昭和28年以降の様子であることは確実と思われます。この時点では万田坑は閉坑(昭和26年9月)しているので、万田第一坑からの石炭積出のホッパー線がなく、わずかに第二坑(炭鉱閉山まで保安坑として機能)の資材用と思われる側線が分岐するのみとなっています。

 一方、万田駅構内には電車庫が設けられています。電車庫は万田分庫(機関庫係が配置)として、本線用の45トン電車が所属しました。昭和38年頃の三池鉄道の駅係一覧によれば、万田駅の機能として「万田駅および信号所3か所、踏切番1か所を管理。港〜宮浦駅間の貨物輸送の調整連絡ならびに通勤輸送(平井線、桜町線)の現場管理」とあり、このことから、上記の配線図は、電車庫を中心として、貨物扱いよりも運転管理をメインとする駅へと変わった姿であろうと思われます。配線図からは上下線双方に入出庫できる通過型の車庫となっており、実際の建屋については、『若き血に燃ゆるもの』(慶應義塾大学鉄研三田会著)所収の写真(昭和36撮影)から、鉄骨組の複線庫となっています。

 なお、上記配線図には万田駅本屋のほかに、三池浜側に北信号所が記されています。この信号所は配線図からわかるように、通勤線のほか、汽缶場線などの分岐を担当する重要な職務があったと思われます。

(1993年3月万田)溝越架道橋越しに万田坑を望む。橋桁に残るレイルはホームへ至る.線路跡のようだ。万田汽缶場線は架道橋の先から左へ分岐していたと思われ、分岐近くに北信号所が設置されていた。

(1993年3月万田)溝越架道橋から宮浦方向を望む。複線架線柱がかつて下り線跡を示す。右側の空き地が通勤ホーム線跡か。


(2003年1月万田)溝越架道橋は旧上り線部分に柵が設けられた。


(2007年5月万田)何やら工事中であり、架道橋の上に鉄板が被せてある。中央の木立のあたりに北信号所があったように思われるが。


炭鉄本館へ戻る

inserted by FC2 system