駅のあちこち
万田採土線
2017年4月11日公開
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MANDA STATION

 採土とは文字通り土砂採取のことで、土砂は採掘跡の充填材料として用いられます。土砂採取の現場は三池炭鉱においても何ヵ所かあり、たとえば早鐘線(大正9年敷設)のように敷設目的を充填用土砂採取用(終点に早鐘採土所がある)として免許を取得したものもあります。万田採土線もその一例ですが、終点の万田採土所は採取規模においてもっとも大きかったと思われ、大掛かりな鉄道施設が設けられています。

 万田採土線については、まず、『ふるさと想い出写真集荒尾』(図書刊行会)によれば、昭和13年に採土所設備の拡張が行われ、同年8月に専用鉄道が敷設されたとあります。採取現場は万田山(袴岳)東麓にありましたが、そこからベルトコンベアによって貨車積みホッパーまで結ばれていました。ホッパーやベルトコンベアについては『万田坑聞き書き』(下津晃著)がより鮮明です。また、同著には採土現場で働くスチームショベルやトロッコの写真もあります。

 下の地図は万田炭鉱館に展示されていた地図の一部ですが、三池本線から分岐した汽缶場線が、さらに万田採土線を分岐して、大きな半円を描いて終点の採土所ホッパーへ通じる線路が描かれています。ホッパーからはさらに万田山の採取現場へのベルトコンベアが直進しています。また、採土線の途中には売店線、終点近くに火薬庫線などの側線が分岐していました。


(2003年1月万田)万田炭鉱館展示の「万田坑および周辺図」一部より。採土線の沿線には充填ピット(充填坑)があった。

(2010年11月万田)沈殿池越しに万田第二坑を望む。筒型のものは汽缶場の煙突跡。採土線が貯水池に沿って直線に延びていた箇所で、現在も池畔の遊歩道が採土線廃線跡をなぞっています(グーグルマップでも分かります)。


(1993年3月万田)万田坑正門前より。この道路は現在は拡幅されて、万田坑ステーションから万田第二坑への見学者ルートとなった。左が売店跡で、門柱が残っていたが、今では整地されてお土産店が建つ。採土線は撮影地点のすぐ後ろを通っていたはずです。

 前掲『ふるさと想い出写真集荒尾』には昭和31年頃の万田坑正門付近(三井三池鉱業学校)の空撮写真がありますが、まだ採土線の線路が写っています。採土線が県道を潜っていた場所には橋が架かっていますが、残念ながら欄干には橋名がありません。橋上から見下ろすと、曲線を描く線路敷が想像できます。

(1996年2月万田)通り過ぎてしまいそうな無名橋。

(1996年2月万田)無名橋から万田坑方向を望む。線路跡らしきカーブがあるが、線路敷ははっきりとは確認できない。

(1996年2月万田)同じく無名橋から採土所方向を望む。線路は左へカーブしていたところだが、はっきりと線路敷と確定できるものは見えない。上記地図によれば、充填坑がこの先にあった。

 もう一か所、採土線を道路が越えていた部分があり、そこから万田坑方面を望みます。谷底のようになった部分に、上記地図によれば機廻線が敷かれていたようですが、樹々が茂ってまったく分からなくなっています。

(1996年2月万田)採土所前の機廻線があったあたりと思われるが、樹木に覆われて判然としない。

 下の写真は昭和49年の空中写真より。沈殿池(当時は干上がっていたのか)にそった採土線が分かりますが、線路はすでに敷かれていないようです。無名橋から先は切り通しになり、終点のホッパー(いまだ残っている!)付近は谷底のようになっています。因みに、終点周辺はのちに埋め立てられて、ホッパーは現存していません。



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