万田坑のあちこち
万田坑の5月
2017年5月5日公開
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MANDA COALMINE

 端午の節句らしい古絵葉書をひとつ取り上げましょう。下の絵葉書は「三池炭鉱坑夫長屋」と題されたものですが、背景に見える立坑から、万田坑の周辺であることが分かります。左が第一坑、右が第二坑です。手前に広がる坑夫長屋のあちこちには武者幟が立てられており、季節は端午の節句(5月)のようです。端午の節句に鯉のぼりではなく、武者幟を立てるのは西日本に多い風習ですが、煙突のあたりには鯉のぼりも泳いでいます。写真の一番手前には、立坑と対になるように5人の子供たちが仲良くおさまっています。たぶん、たまたまカメラマンの近くに居たので一緒に撮ってあげたのでしょう。このうち、2人は赤ん坊を背負って子守りの最中です。

 絵葉書では坑夫長屋となっていますが、万田立坑の方向から判断するに、中央の一角が仲町、奥が土手町と思われますが、はるか後年(昭和45年撮影)になっても何ら変わらぬ様子が『三池炭鉱遺産万田坑と宮原坑』(高木尚雄著)にいくつか収められています。なお同書より、社宅の名称の変遷は、坑夫小屋(明治6〜)→坑夫納屋(明治27〜)→坑夫長屋(明治43〜)→社宅(大正9〜)とありますので、古絵葉書の撮影時期は、明治末年〜大正半ばまでの頃、万田坑開坑の10数年頃の様子と思われます。なお、坑夫→鉱員と呼称が変わったのは昭和21年からです。





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